1998年9月27日、一頭の歴史的名馬がこの世を去った。名前はナリタブライアン。まだ7歳という若さだった。3歳時には20世紀最後にして、史上5頭目となるクラシック三冠を達成。そのトレードマークから「シャドーロールの怪物」という異名で親しまれ、ファンからは愛され、ライバルからは恐れられた。彼の死からきょうで25年という節目を迎えるにあたり、名馬の蹄跡を振り返ってみたい。

 ナリタブライアンは父ブライアンズタイム、母パシフィカス、母の父Northern Dancerという血統。ひとつ上の半兄のビワハヤヒデはイギリスからの持込馬として日本で競走生活を送り、93年菊花賞や94年の天皇賞(春)、宝塚記念とGI・3勝を挙げた。

 デビューから勝ち負けを繰り返しつつ力を付け、93年の朝日杯3歳Sで早くもGIタイトルを獲得。その後も勢いはとどまるところを知らず、連勝記録を「4」に伸ばして皐月賞に参戦すると、圧倒的支持に応えてコースレコードかつ3馬身半差で勝利する。続く日本ダービーでは、直線で馬場の中央をひとり旅。強豪相手に5馬身差の再び完勝で、前年に春二冠2着だった兄の雪辱を果たす。

 秋初戦の京都新聞杯はよもやの敗戦を喫したが、菊花賞では単勝1.7倍に応えて7馬身差の圧勝。前週の天皇賞(秋)でビワハヤヒデが1番人気で5着に敗れ、屈腱炎発症という悲しいニュースがとび込んできた直後だったが「弟は大丈夫」だった。さらには有馬記念も制して“四冠”。年明けの阪神大賞典も圧勝したが、その後に関節炎を発症して休養に入った。

 約7カ月後には復帰し、翌年阪神大賞典で連覇達成、続く天皇賞(春)2着などの実績を残したが、再びの故障によって引退。その後は怪物の再来を願って種牡馬入りし、順調に産駒も生まれていたが、ラストランから2年と少しの98年9月27日。病に倒れ、わずか7年という短い生涯に幕を閉じた。彼の亡きあと名馬はいくつも生まれたが、三冠の合計“15馬身半”という衝撃は、今なお色褪せず、ファンの語り草となっている。

■ナリタブライアンが亡くなった1998年の出来事

・長野1998オリンピック(2月)
・兵庫県神戸市と淡路島をつなぐ明石海峡大橋が開通(4月)
・FIFAワールドカップフランス大会、サッカー日本代表が初出場(6月)
・日本初の火星探査機「のぞみ」が打ち上げ成功(7月)
・googleが設立(9月)
・横浜ベイスターズが38年ぶり2度目の日本一(10月)

競馬界では…
・武豊騎手がスペシャルウィークで初のダービー制覇(6月)
・シーキングザパールが仏G1を制し日本調教馬初の海外G1制覇(8月)
・天皇賞(秋)でサイレンススズカが予後不良(11月)